4月から、また大学通いが始まりました。
久しぶりに国分寺駅からバスに乗ったら、とてもお年寄りが多い。
東京の郊外にある実家に行ったときも、それを感じました。
都内には、案外いろいろな年齢や立場の人が入り交じっていて、お年寄りもいれば
小さな子供も、若い人も、中年の人もいますが、ちょうど高度成長期に開けた、郊外の
住宅地に暮らす人は、最近はお年寄り中心になっているのかもしれません。
この季節には珍しく、紅葉した葉のついた小枝の束を抱えた、おそらく80歳を
優に越えたおじいさんがバスに乗って来て、私の前の座席に座りました。
少し後ろのシルバーシートには、もう少し若いおばあさんが既に座っていました。
おじいさんが、誰に話すともなく、「今日は暑くなったねえ」と大きな声で言うと
おばあさんが「ほんとね。いい気候だから気持ちがいいわね。」と返しました。
この自然なやりとりを聞いて、最初、二人が知り合いなのかと思いましたが、
どうもそうではなさそうです。
おばあさん「きれいな枝。とてもすてきね。」
おじいさん「毎年もらうんだよ。○○にやろうと思ってさ」
○○の部分は、私には聞き取れませんでしたが、すかさずおばあさん、
「お仏壇にあげるのね。そのお仏壇は奥さんのお仏壇なの?」
「そうだよ。○○なのにさ。去年17回忌をやったんだ。」
また聞き取れない部分があったのに、おばあさんは
「そうなの。だんなさんより9つも若いのに先に逝ってしまったのね。」
と、見事におじいさんの聞き取りにくいおしゃべりを聞き取って、的確なコメントを
返しています。
「でも、だんなさん、身ぎれいにしていらっしゃるわね。」
「今日は暑いから、夏みたいな格好で出て来ちゃったよ。」
確かに良く見ると、おじいさんは清潔なポロシャツとズボンを身につけ、夏物の麻の
帽子を被っています。奥さんに先立たれてから、17年間一人で暮らし、毎日、仏壇に
季節の植物を飾っているのでしょうか。
「もう最近は、ただ生きているだけだから。」
と言うおじいさんに、おばあさんは
「みんなそうですよ。」と優しく言い、そこで会話は途切れました。
その後、おばあさんの連れがバスに乗り込んで来たようで、二度と二人は会話を交わす
ことなく、途中の停留所でおじいさんはバスを降りて行きました。
見知らぬおじいさんとおばあさんの、ほんの2〜3分の会話。
シンプルだけど、言葉の端々に重みがあり、おじいさんとおばあさんの人間性を感じる
ことができるような会話でした。
きちんと生きて来た人たち。
長い人生を重ねて来た人にしかできないやりとり。
私も、あのくらいの年齢になったとき、そんな会話が自然にできるようになるので
しょうか。
おじいさんとおばあさんの会話は、初夏のような空気とともに、静かな余韻を残し、
未来の自分に対しても、襟を正す気持ちにさせてくれました。
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