nae: 2008年11月アーカイブ

飛行機の写真

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城南島海浜公園はおもしろい公園です。

東京湾の埋め立て地にあり、人工的と思いきや、意外に緑が豊かで、草花や昆虫も多く、
「つばさ浜」の岩場には、カニがたくさんいて、子供たちがカニ釣りを楽しむこともできます。(食べられるカニではないので、観察したら海に帰すのですが)
キャンプ場やドッグランもあり、休日はたくさんの人で賑わいます。

東京湾を通過する船と羽田空港に離着陸する飛行機がひっきりなしに行き交い、視線のどこかに動きがある公園。
それでいて、不思議と郷愁をそそられる場所なのです。

久しぶりに行ってみたら、しばらく工事をしていたところが完成したらしく、羽田空港の滑走路がより公園に近くなっていました。
ちょうど着陸前の飛行機が頻繁に目の前を通過する時間帯。
爆音とともに、普段は見られないほど低空飛行の飛行機がブンブン通るのを見ていたら、写真を撮りたくなりました。

しかし、いざ撮ろうとすると、難しい!
スピードが速く、カメラを構えていても、なかなか思ったように撮れません。
あっという間に過ぎて行ってしまったり、逆に早すぎたり、全体像がなかなかおさめられません。...↓おそろしく下手だ...

IMG_0807.jpg

何度も撮りなおして、ようやく全体像が収まるようになりましたが、なかなかピントが合わず。だんだん暗くなってきて、誘導灯の光が目立つようになりました。

IMG_0801.jpg
ときどき珍しい国の飛行機が飛んできたり、キャラクターつきの飛行機が飛んできたりすると、妙にうれしくなってしまいます。
何台もの飛行機を見ていると、あんなところにライトがついているんだ、とか、文字が書いてあるんだ、とか、意外な発見もあります。下から飛行機を見ることは殆どないので、ちょっと新鮮な気分。
そして、あらためて飛行機の形の洗練された機能美に魅せられます。

スピードの速い飛行機を的確に撮影するのは想像以上に難しく、結局大した写真は撮れませんでしたが、それでもなんだか楽しかった。ちょっとやみつきになりそうです。
動くものを追いかける楽しさは、カニつりとか、昆虫採集の楽しさにちょっと似ている気がします。




中強羅駅

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cable01.jpg紅葉シーズンの箱根は、大変な混雑でした。
強羅駅から箱根登山鉄道のケーブルカーに乗り、中強羅駅で降りたときのこと。

「どちらのドアからでも降りられます」と車内放送があり、私達のグループも、適当に何人かに分かれて左右のドアから降りました。

ケーブルの軋む音とともに、ケーブルカーが早雲山に向かって去って行ったあと、降りたホームに残された人々の目が点になりました。

「え?渡れないの?」

ホームの周囲を見渡すと、周りにはどこにも踏切も、ましてや歩道橋もありません。
降りたホームから、反対側に渡ることができないのです。

「宿はあっちなんだけど」
「一人だけ向こうに降りちゃったけど、どうすればいいの?」

人々がざわつきます。
いったいどうやって、線路の向こう側に渡ればいいのでしょうか。
ホームは結構な高さがあり、線路に降りるのは危険です。
みんなの頭にはてなマークが飛び交います。

cable03.jpg
そのうち、誰かが立て看板を見つけました。

「ケーブルカーは、両側のホームから乗降できます
線路は渡らずに、こちらのホームでお待ちください
向こう側においでの方は
ケーブルカーの到着を待ち、車内をお通りください」

と書いてあります。

「ええ〜!なにそれ!」
「いまどき、こんなのあり?」

次のケーブルカーが来るまで20分。
ひたすら待つしかないようです。

そういえば、旅館の板前さんも、向こう側の街に渡って移動するところらしく、ホームの階段の下で、ふつうに待っています。
地元の人でさえ、こうやって渡るしか方法がないってことですね。
21世紀にして、すばらしくのどかなシステムです。

「急いでいるわけじゃないし、滅多にできない経験だから、まあいいか」

ここまで、悪びれずに看板に書かれていると、怒る気にもなれません。

cable04.jpg
ようやくケーブルカーが到着しました。
相変わらず混んでいる車内の人に
「すみません。渡るだけですので、通してください」
と皆で声をかけます。

車内の人たちにも、はてなマークが飛び交います。

旅先の人々には、おもしろい経験で済むものの、地元の人たちから、なんのクレームもなく、みんなおとなしくがまんしているのでしょうか?
夜になったらどうするんだろう。終電(?)がすぎたら線路を渡るのかな...と、やはり、はてなマークが残ります。

ちなみに、ウィキペディアによると、他の駅にはアンダークロスする通路があるが、この駅には存在しない、と書かれています。
せめて車内に案内を表示するとか、アナウンスすればいいのに、と思うのですが、アナウンスしたところで、間違ったほうに降りてしまったときは、どちらにしても渡れないので、まあいいか、ということになっているのかもしれません。


IMG_0825.jpg
ASKULのいつものおじさんが配達に来て「あったかいね〜この部屋。日当りがいいのかな?」と言って荷物を置いていきました。

そういえば西日が強いね、とブラインドを上げてみると、久しぶりの美しい夕焼けに富士山のシルエットが。

夏の間は、なかなか富士山が見えなかったけど、これからの季節は、富士山鑑賞ができるようになるのが楽しみです。

この前は、富士山のうえに傘雲がかかっているのが見えました。空気がきれいな寒い日の朝は、丹沢の山々の稜線がくっきり見えることもあります。

山はいつもそこに変わらずそこにあるのに、たまに見えると、「やあ、また会えたね」と声をかけたくなります。まわりにはビルやらクレーンやら、鉄塔やら、風情のない建物が連なっていますが、その向こうに見える富士山の姿は、神々しくて凛としています。

今週はお客様が多く、締め切りも続き、なんだかあっという間の1週間でした。

人と人とのつながりや、新たな出会いに思いを馳せながら、ほっと肩の力が抜ける、夕暮れの富士山とのひとときなのでした。

16歳

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16歳のとき、私は何をしていたでしょう?
毎日が楽しくて、笑ってばかりいたような気がします。中高一貫の女子校に通っていた私は、そろそろ将来やりたいことについて考え始め、夢や希望に胸をふくらませていました。

その年齢ならではの悩みもなかったはずはなく、友達とうまくやっていくことや、物理の成績がとんでもなく悪かったこと、チーズトーストの食べ過ぎで体重が増えたこと、お気に入りのバンドが解散してしまったことなどなど、当時の私にとっての重大な心配事を抱えつつも、幸せで平和な高校一年生の生活を謳歌していたと思います。

でも、めいちゃんは同じ16歳でありながら、病気と闘う毎日を過ごしています。

めいちゃんは、私がまさに平和に高校生活を送っていた時の同級生のお嬢さんです。
5年前に、拡張型心筋症という重い心臓の病気にかかり、それから何度も入退院を繰り返しながらも、今年の春に高校生になりました。
しかし夏になって、病状が悪化し、アメリカで心臓移植手術を受けなければ命を救う方法がないとわかり、現在は左心室と右心室の両方に補助人工心臓を装着している状況だということです。それを聞いた友人達が、なんとかしてめいちゃんのことを助けたいと、「めいちゃんを救う会」を立ち上げることになりました。

めいちゃんを何度も見舞っている友人は、毎日病院で器具の音を聞きながら、死の恐怖と戦う姿に、胸がしめつけられるようだと言っていました。
病気のつらさに耐えながら、精神力を保ち続けることの厳しさは、想像を絶するものだと思います。

あらためて、生きること、生きていること、当たり前と思っている日常が、決して当たり前のことではないことを思わされます。
どんなに重大な心配事があっても、生きているからこそ。
つらい思いは、乗り越えるためのものでなくてはなりません。

16歳。ふつうに学校に通い、友達と笑って過ごせる毎日が、めいちゃんの元にやってきますように。


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