お別れは言わない

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従姉のお通夜に行ってきました。
昨年の秋に入院したときは、すでに手のつけられない状態になっていたのでしょう。
癌は8ヶ月の間に、ふくよかで元気に満ちあふれていた従姉の身体をみるみるうちに冒し、
最期は別人のように痩せてしまい、意識も戻ることのないまま、旅立ってしまったと
いうことです。

いつも笑顔で、おしゃべりの大好きなひとでした。病気になるなんて、想像できないくらい
元気なひとでした。いつもまわりの人に気をつかい、その場を明るくしてくれる、ひまわりのようなひとでした。

昨日、従姉が亡くなった知らせを聞いてから、どんよりと重い気分でした。

それなのに、お通夜に参列した私の心には、なぜか強い悲しみの気持ちが沸いてこなかった
のです。私は不思議な気持ちに包まれながら、賛美歌を聴いていました。

なぜなんだろう。
どうしてなんだろう。

従姉の写真を眺めても、献花をしていても、なんだか、自分の感情が遠いところにあるよう
な感じなのです。

そうだ。

実感がわかないってこのことなんだ。

私は自分の不思議な気持ちに気づきました。

病院にお見舞いに行くことのできなかった私には、昨年元気な時に会ったままの彼女の姿が、脳裏に焼きついていて、私にとっての彼女は、そういう元気な彼女でしかないのです。
闘病中に何もできなかった私には、どうしても、彼女の命が終わったことを実感することができなかったのです。

人類の長い歴史の中の、ほんの一瞬、同じ時代に生きる。
たくさんある国の中で、たまたま日本に生まれ、同じ時間を共有する。
...人と人との関係は、たいへんな偶然が重なって成り立っています。

今、すぐそばにいる人も、1年会っていない人も、5年会っていない人も、20年、30年会っていない人も、みんなそれぞれ、その人の位置を私の中に持っている。
名前を忘れてしまった人でさえ、やはりその人の位置は、私の中にある。
そういう人と人とのさまざまな関係の中に、今の私がいる。

「死」は、人生の終わりではあるかもしれないけれど、決して人と人との関係の終わり
ではありません。
私の心のなかで、確実に彼女は今までと同じような位置にいて、おそらく、この先も、それは変わらないでしょう。

彼女が教えてくれたいろいろなことを、私はしっかり覚えておきます。
それが彼女に対する、私なりの追悼なのではないか。
まだあまり整理ができていないけれど、今はそんなふうに考えています。

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